București / ブカレスト

今年2019年からベルリンでは3月8日の女性の日が祝日になった。

これを利用してどこかへ行けないかと思い、以前から気になっていたルーマニアの首都ブカレストに友人を誘って行ってみることにした。

ハンガリーのブタペストではなく、ブカレストの方だ。

フライトの時間が遅いのと、時差が1時間あるので、初日はほぼ移動のみ。週末の丸2日滞在、月曜日の昼にはベルリンに戻るという弾丸ツアーだ。

今年は東欧圏にも仕事で行きたいと考えているので、カバー範囲を広げるためのロケハン的な意味もある今回の旅。

恐らくブカレストもワルシャワ同様、日本ではあまり情報が得られない、あるいはアップデートされておらず、「危険な場所」というイメージが先行しているのではないだろうか。

ベルリンからブカレストの空港に降り立ち、街の中心街へ出る783系統のバスに乗ると、ブカレストの方が間違いなく都会だという印象を受ける。

空港内の両替所で10ユーロを約45レイに交換し、バスのチケットを購入。ここで、往復を2人分買おうとしたところ、1枚のカードにまとめられてしまい、販売員の女性に平謝りをして何とか2枚のカードに分けてもらえた。往復チケットの料金は7レイ+チャージ用カード1,6レイ(8,6レイ=約2ユーロ)。

チャージ式のカードだというのをうっかり忘れていたのだ。「そういうことは買う前にちゃんと説明してね!」とプンプン怒りながらもやり直してくれた販売員には感謝しかない。「ごめんなさい、ありがとう!」Mă scuzaţi. (マ スクザッツィ), Mulţumesc! (ムルツメスク)

ベルリンの壁の歴史がそうさせているのか、ベルリンから東欧の首都へ足を延ばすと、どうしてもベルリンの田舎染みた感じが目立ってしまうのだから不思議だ。

道路の道幅や交通量もモスクワのそれを彷彿とさせる。大通りを渡る信号も少なく、地下道が発達しているのもよく似ている。交通量が多いため、道路の側を歩いているとちょっと息苦しい感じがする。夏の大気汚染もかなりひどいに違いない。

宿泊先アパートが大通りに面しているため、夜間ではあったが周辺を少し歩いてみることにした。22時を回っても人通りが多く、特に身の危険を感じるような雰囲気ではない。

24時間営業のスーパーを見つけたので、そこで間に合わせの夜食を買い、帰途に着いた。

ベルリンよりかなり南に位置するせいか、夜間でも上着のいらない暖かさ。目抜き通りにもまだまだ古い廃墟と化した建物が残っていたり、かなり特異な構造のアパートが並んでいたりと建築に興味のある人にもお勧めしたい街である。

明日からのブカレストがとても楽しみだ。



“Palastausbau wäre spannender” / フンボルト・フォーラム2

個人的には東ドイツを象徴していた悪趣味な共和国宮殿が解体されるのは残念な気がしたものだが、変化のスピードが2000年以降、爆発的に加速を続けるベルリンではゆっくり感傷に浸っている暇などないのだ。悲しいことに。」

と、以前のブログで書いたのは他でもない自分なのであるが同じような考えを持った人がいるものだな、と思う記事を目にしたのでご紹介したい。

ベルリンのミッテ区長のフォン・ダッセル(緑の党)が建設中のフンボルト・フォーラムにケチを付けた、という内容の記事がBerliner Wocheに掲載されていた。記事のタイトルは・・・

「共和国宮殿を増築した方が面白くなっただろう。」

え、このタイミングで区長としてそのコメント!?

共感よりも驚きが先に立った。ドイツ最大級の文化総合施設であり、首都ベルリンのど真ん中、ベルリン宮殿跡に再建されているフンボルト・フォーラム。賛否両論があっても何ら不思議ではない。しかし、ベルリン宮殿の工事がほぼ完了するタイミングで区長のこの発言はいかがなものか。

2019年の終わりにはオープニング予定のフンボルトフォーラム。プロイセン文化財団(SPK)所蔵の2万点以上の展示品も宮殿広場に移されている。

HPのハイライトを見ると、2018年10月から2019年5月まで、展示の一部が公開されておりパネルディスカッションなども催されているようだ。

East- und South facade, August 2018. Photo: © SHF / Stephan Falk

フォン・ダッセルに言わせると、片側はバロック形式で再現されたファサードとその上の丸屋根、アレキサンダー広場方向に面する側はモダンな「銃眼のような」ファサード、どうやらどれもお気に召さないらしい。

そして、ベルリンのミッテ地区にはもっと近未来的な建造物が相応しい、共和国宮殿を建築的に発展させる方が面白かったと思うのだが、といった趣向の発言をしているのだ。とはいえ、ここまで完成している建物を修正することなど到底不可能。一体何のためにこの発言をしたのだろう。

「エーリッヒのランプ店」と揶揄された共和国宮殿内部

フォン・ダッセルはフンボルト・フォーラムを全ての人に開かれた場所にしようという試みそのものは評価している。ベルリンの市内にこれだけ多くの新しい建造物がある割には興味の対象となる建築がない、他の都市にはあるのに、と。この発言には残念ながらかなり共感できる。巨額予算で中途半端なものを建てるな、ということになるだろうか。

ミッテ区長の発言に対し、ベルリン宮殿再建推進協議会責任者のヴィルヘルム・フォン・ボディンが「フォン・ダッセル氏はバロックファサードを批判するマイノリティに過ぎない。」と即座に批判。しかし、東側のモダンなファサードに対する批判は少なくはないらしい。

何はともあれ、もうすでに始動している大規模な文化事業であるこのプロジェクト。オープニングの予定日はまだ確定していないものの、ベルリンの他の大型建築プロジェクトとしては稀に成功したプロジェクトなのではないだろうか。完成後に実際に足を運ぶのが楽しみだ。

参考記事:

タイトル写真:© SHF / Stephan Falk

ヤシの木とハラ・コシュキ / Warzsawa-5

今回のワルシャワ旅行記。紹介したい場所が多すぎて、年が明けてもまだ「ワルシャワ」編が終わらない。まさかこんなに歩きやすくて盛りだくさんな街だとは思っていなかった。

今までその良さに気付いてあげられなくて本当にごめん、ワルシャワ。

泊まっていたアパートのすぐ側に大きなヤシの木が立っていた。なんだこれ、と思っただけだったが、旧市街のワルシャワ博物館のミュージアムショップでヤシの木のロゴが入ったコースターが売られていた。

あそこに立っているヤシの木?あれって何か特別な意味があるのかな??

そこでようやくヤシの木の存在に本格的な疑問が生まれた。グーグル先生によると、ヨアンナ・ライコフスカ(Joanna Rajkowska: 1968年ビドゴシチ、ポーランド生まれ)のアーティストによる作品、Greetings From Jerusalem Avenue だった。

この作品のインスピレーションは彼女が第二次インティファーダの時期にイスラエルに行って得たものらしい。ヤシの木が立っているのも、イエルサレム大通りと新世界の交差する広場だ。従来はクリスマスツリーが立っていた場所にヤシの木をどーんと据えたわけだ。

現代アートセンターが彼女の作品を保持する決定を出し、修理なども何度か行っている。設置から15年以上も経った今ではワルシャワっ子にとってなくてはならないランドマークになっているのだそうだ。このヤシの木のしたで政治的な集会やデモなども行われるのだとか。

というわけで、粋な計らいをする現代アートセンターに行く前に世界各国の料理が楽しめるというマーケットホールに足を運んでみた。

コシコバ通りにあるハラ・コシュキ(Hala Koszyki)へ。

ハラ・コシュキはユリウス・ジェジャノフスキ(Juliusz Dzierżanowski)によるアール・ヌーヴォー様式建築。1906年から1908年にかけて建設され、「市民の台所」として知られていた。

現在の姿は当時の鉄骨や多色なレンガ作りのデザインを尊重しつつ、丁寧に修繕を重ねたものだ。ポーランドには腕のいい職人がたくさんいるに違いない。ワルシャワの歴史地区もそうだが、細部に至るまで愛情を込めて修繕されているのが建物を見ていると伝わってくる。そして何と言っても全体のバランスやセンスがとてもいい。

2階はオフィススペースになっている。

Kreperiaでポーランドのクレープ(Naleśniki / ナレシニキ)を頂く。スイーツ系にも惹かれたがランチタイムだったので、バターで炒めたエビにチリとガーリック味を効かせたCatalanを注文。美味しい〜!!ポーランド料理はドイツと比べて塩味も甘さも控えめで日本人好みの味付けだと思う。前回のポズナン滞在でもそう思ったが、今回のワルシャワ滞在でポーランド料理の美味しさを再確認した。

現在はホテルのMDM

道すがら気になる建物が。MDMはホテルとして利用されているということなので、また機会があれば宿泊してみたい。この建物は50年代にワルシャワの労働者階級が憧れたアパートだったのだそうだ。

the Centre for Contemporary Art, Ujazdowski Castle

ウヤドフスキ公園内にある現代アートセンターに到着。ヤシの木のアーティスト、ヨアンナさんの作品は展示されているんだろうか。

Cezary Poniatowski, Spokój (Calm), instalacja (installation) 2018

dźwięk (sound), Lubomir Grzelak
Dominika Olszowy, Waiting for the Rest, instalacja (installation), 2018
Darius Žiūra, Testy ekranowe (Screen Tests: three-part multimedia installation), 2018

Darius Žiūraはリトアニア人のアーティスト。別の展示スペースにカメラ一台が置いてあり、そこで希望する訪問者が座って15秒ほど撮影した動画を展示で流す、というコンセプト。もちろん友人とふたりでカメラの前に座ってきた。

今回の展示Waiting for Another Comingはワルシャワとヴィリニュスで同時に行われているアートプロジェクト。プログラムの詳細について興味のある方はリンクを読んでみて欲しい。

リトアニアにも随分長い間足を運んでいないので、また近いうちに再訪したい。中欧の歴史は複雑すぎてついていけないのだが、ポーランドとリトアニアについてもほとんど何も知らない。何気なく観に行った展示内容から、思いがけない気付きがあるのもアートのいいところだと思う。

もしかすると、自分の知らないことに気付くことができる、というのが自分にとっての旅の醍醐味なのかもしれない。

Joanna Raikowska, satisfaction garanteed

ワルシャワで会いましょう / Do zobaczenia w Warszawie

ワルシャワといえば、David Bowie – Warszawa。

暗くて重い、まさに壁崩壊以前のベルリンに共通する何かがある街、というイメージだった。ベルリンに住むようになってからもずっと気にはなっていたのだが、なぜか行く機会に恵まれず近くて遠い街だった。

それが昨年の年末に、急遽向かうことになったのだから不思議なものだ。

中高時代の同級生のFBへの書き込みを見ると、今年のクリスマスから年末にかけてポーランドのクラクフとワルシャワへ、とあるではないか。咄嗟に友人にDMを送りスケジュールを確認。クリスマス休暇明けから30日までのワルシャワ滞在。行ける!フライトを検索すると、まだ安いチケットが残席1の表示。即決で購入したのは言うまでもない。家族には申し訳ないが、今回もまた事後申請である。

「ここで行かないと、いつ行けるかわからない。」

旅とはそういうものだ。

しかし、出発前日の23時過ぎにポーランド航空LOTからSMSが入る。「明日の早朝便がキャンセルになったので、LOTのポーランドあるいはドイツの窓口まで電話で詳細を確認して下さい。」

縁がないのか、ワルシャワ?本来なら遅くとも6時過ぎには空港に向かわなければいけないスケジュールだったが、キャンセルになった以上、急いで空港に着いても仕方がないので目覚ましは7時にセット。まんじりともせず翌朝に。

どうしたものか。空港に直接行った方が早いのか?いや、クリスマス休暇明けすぐに空港職員の対応が良いはずがない。。

まだ8時だったが、次便が10時半頃だったのでまずは電話をしてみることに。「ドイツ語での対応は9時からになります。」英語かポーランド語対応の別番号で再トライ。繋がったので振替便を次便にできないか、と打診すると「確認しますので少々お待ちください。」と言われ、そのまま予約センターに引き継いでもらう。結局、思った以上にすんなりと当日の次の便に乗れる運びとなった。これまた結果的に到着時間がアパートチェックインの時間になったので、逆に都合が良かった。実は仕事でもないのに5時に起きての旅行もどうかとは思っていた。

それにしても最近、このパターンばかりだ。予定通りに飛行機が飛んでくれないが、結果オーライというパターン。そんなわけで、3時間くらい遅れての到着となった。

いよいよあこがれのワルシャワとの対面、である。

日本から来る友人をワルシャワ中央駅(Warszawa Centralna)へ迎えに行く前に、文化科学宮殿(Pałac Kultury i Nauki )に立ち寄る。ポーランド語のPałac Kultury i Naukiの頭文字PKiNが略称だが、これとポーランド語のPekinをかけて「ペキン(北京)」と揶揄したりもするらしい。スターリンからの贈り物とされる建造物など、ワルシャワ市民からすればありがた迷惑な代物に違いない。ソ連の面影=ノスタルジックという構造が頭に出来上がっているため、その佇まいに感動を覚えたことは白状しておこう。

スターリン形式のこの建物、当初はスターリン記念文化科学宮殿(Pałac Kultury i Nauki imienia Józefa Stalina)という名称であったというのだから驚きである。

憧れのワルシャワの(ありがた迷惑な)シンボルとも言える建物をようやく間近で拝めたわけだ。

ワルシャワ中央駅に近いこともあり、周辺には新しい高層ビルが出来ており文化科学宮殿と並んで摩天楼を成している。

ワルシャワ中央駅(Warszawa Centralna)。国際列車によってドイツのベルリン、ロシアのモスクワなどと結ばれている。長距離列車でモスクワへ行ってみるのもいいかもしれない。

さて、また例のごとく前置きが長くなってしまったが、次回は世界遺産に登録されたワルシャワ旧市街についてご紹介したい。

Spinnerei in Leipzig /ライプツィヒのシュピネライ

随分と時間が経ってしまったが、前回の続き。シュピネライ(紡績工場)のインフォーメーションセンターの奥に工場時代の様子が垣間見られる展示スペースが設けられていた。

興味をそそられる入り口。入ってすぐ横の壁には旧東ドイツ時代の写真が飾られていた。

この建物は先ほど歩いてきた道で見かけたものだろうか。DDR時代のFDJ(Die Freie Deutsche Jugend / 自由ドイツ青年団)のロゴが壁面に掲げられている。FDJは旧東ドイツにおける支配政党であったドイツ社会主義統一党傘下の青年組織で旧ソ連のコムソモールに相当する。青少年の教化、マルクス・レーニン主義の宣揚および共産主義的行動の促進が政治的目的であった。

自由参加というのは名目で、加入しない青少年は組織的な休暇活動への参加ができなかったり、高等教育・就職等の制限があったらしい。東ドイツ出身の義母も体育の教師になれなかったのはFDJへの加入を拒んだからではないか、という話をしてくれたことがある。

当時の様子が伺える静かな空間。古い工場跡というのは独特の趣がある。

コットン(綿)の需要が世界的に高まった19世紀に欧州で最大の紡績工場のビジョンを持った産業家が存在した。1884年に既に現在のホール20に当たる第一の紡績工場が誕生している。工場の発展は経済成長だけでなく、持続可能な方向性で進められた。シュピネライは当時から既にモダンな場所であったのだ。労働者のアパートや託児所、公園などを兼ね備えた街が街の中に生まれた。

ベルリンの壁崩壊後から数年、1994年には既に紡績産業の衰退によって使われなくなった一部のスペースにギャラリーや工房がいくつか入っていた。2000年に最後の製造ラインが行われたのち、広大な全敷地が売りに出されたのである。

現在のHalle 14
現在のHalle 14

「古い工場跡・若いクリエーター・東ドイツ」というキーワードでは銀行が見向きもしなかったのだそうだ。しかし、この場所の持つ独特の雰囲気やそのポテンシャルを信じて購入に踏み切った決断力は無駄に終わらなかった。

数年後には英国のガーディアン紙が「今、地球上でもっともホットな場所」というタイトルの記事で紹介するまでになったというのだから嬉しい限りである。

ベルリンからのアクセスも列車で2時間以内のライプツィヒ。また機会があれば今度はもう少しゆっくりと立ち寄ってみたい。

参考:http://www.spinnerei.de/gruendereuphorie.html
http://www.spinnerei.de/from-cotton-to-culture.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/自由ドイツ青年団

 

 

Leipzig-Pragwitz / ライプツィヒ・プラークヴィッツ地区

ある撮影で数日前までライプツィヒに滞在していたのだが、最終日に時間が出来たのでリサーチ中に見つけて気になっていた地区にシェアバイクを利用して足を運んでみることにした。
中央駅から南西に自転車で約20分ほど行ったところにPragwitz(プラークヴィッツ)という地区がある。ここはDDR(東独)時代には工業地帯が集中していた場所であるらしい。
自転車で走っていると、壁画や柵の色がカラフルなので何かと思いきや、畑らしき敷地が目に止まった。ここで作られた野菜を直販しているようだ。
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そしてその真向かいにTapetenwerkのロゴが。まだ時間的に早かったので人もまばらだったが、敷地内ですれ違った男性に少し話を聞いてみた。
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「この辺り一帯は工場地帯だったところで、壁崩壊後は目も当てられない状態だった。この建物も当時は屋根がなかったんだよ。25年前からエリア一帯にある建物を少しずつ修復して、やっと今の状態になったんだ。Spinnereiもそうだけれど、ここにはそういった工場跡地を利用したアートギャラリーや建築事務所、コワーキングスペース、アート協会、カフェ、などがたくさん集まっているんだ。入り口のカンティーネ(食堂)ではランチも食べられるから是非。」
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Tapetenwerk(絨毯工場)やSpinnerei(紡績工場)といった名前は元工場がギャラリーや工房としてうまく活用されている証しでもある。それにしてもこのエリア、空気の流れ方といい、そこにいる人といい、何だかとても懐かしい感じがする。
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その懐かしさ、一昔前のベルリンで覚えたようなワクワクする感じ。とにかくこのエリア一帯は歩いているだけで嬉しくなるのだから不思議だ。
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そして工場や廃墟好きには堪らないエリア。以前のベルリンで普通に目にすることができた光景がライプツィヒにはまだここかしこに存在していた。
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普段の日の11時過ぎだったせいか、人通りもまばらでとても静かな街角。ライプツィヒがこんなに伸び代のある街だとは思ってもみなかった。13時過ぎの列車でベルリンに戻る必要があったので、余りのんびりできないのが残念だったが、Spinnereiに到着。
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いつも思うのだが、ドイツ人は本当に古い建物の再利用がうまい。
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とても数時間では足りない規模の敷地面積。
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インフォーメーションセンターでは紡績工場の歴史を振り返る小さな展示スペースも設けられていた。
それについては、また次回に。

Kunsthalle Mannheim / マンハイム・クンストハレ

先日、アニメーション制作のロケハンに同行する機会があり、マンハイムへ行って来た。初日は打ち合わせと夕食同席のみだったため、早めにマンハイム入りし、今年6月に修復作業の終わったばかりのクンストハレに足を運んだ。
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マンハイムといえば、フリードリヒスプラッツ(Friedrichspl.)の給水塔がシンボルになっている。この日はAnimagiCという大型アニメコンベンション開催中だったこともあり、給水塔の周りに広がる芝生ではコスプレをした人々が写真撮影をしたり、寛いだりする姿が見られた。

東京喰種のカネキらしき人物も公園にいたので、写真を撮らせていただいた。パチリ。

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さて、このコスプレイヤーでいっぱいだった広場に面してクンストハレが無機質な姿で立っている。とても暑い日だったので、建物内の吹き抜けが心地よかった。

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Fassade Kunsthalle Mannheim
© Kunsthalle Mannheim / Constantin Meyer, Köln

時間も限られていたので、2018年6月にオープンしたばかりの新館をざっと回ってみることにした。高い吹き抜けの天井から吊り下がったインスタレーションを眺める。

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Alicja Kwade / Die bewegte Leere des Moments, 2015-2017

彫刻やインスタレーション、メディアアート、絵画など様々な作品を楽しむことができる納得のコレクション。

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Klaus Rinke / Messinstrument für Zeitlosigkeit I 1972-1973

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Gunter Frentzel / 50 geschichtete Stahlstübe 2017 Gestiftet von Rainer Adam Müller

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Anselm Kiefer / Essence – Eksistence 2011 Kiefer-Sammlung Grothe in der Kunsthalle Mannheim

中でもチェコのプラハ出身、Krištof Kinteraの作品がとても印象に残った。プラハの美術アカデミーを卒業した後、アムステルダムのRijksakademie van Beeldende Kunstenで1年間学んでいる。

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Krištof Kintera / System without Spirit. 2016 Leihgabe Pro Museum Stiftung zur Förderung der zeitgenössischen bildenden Kunst

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Krištof Kintera / Revolution. 2005 Leihgabe Pro Museum Stiftung zur Förderung der zeitgenössischen bildenden Kunst

こちらの作品は小柄な男の子がランダムに柱に頭を叩きつける「Revolution」というインスタレーション。コンコンコン!と、かなり大きな音が他の展示ルームまで筒抜けだったため「工事でもやっているのかな?」と思っていたら、なんとこの作品が音の正体だったというw 壁のコンクリートも粉々になって足元に落ちていた。
旧館のユーゲント様式の建物を見る時間がなかったのは残念だが、時間のある人は是非クンストハレに足を運んでみてはいかがだろうか。
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併設のカフェLUXXも居心地が良かった。
最後にもうひとつ。マンハイムの旧市街の住所が風変わりで、通りに名前がなく例えば宿泊先のホテルはQ6・Q7といった具合だ。数百年も前からアルファベットと数字の組み合わせで表示されていたというのだから驚きである。
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ドイツの街は本当にそれぞれが個性豊かなので、毎回なんらかの発見があって面白い。

Altenheime in Mitte / 老人にはさようなら、スタートアップは大歓迎、のミッテ地区

郵便受けに投函される地区のフリーペーパー。目に止まったのは“Senioren raus, Start-ups rein”というタイトルだった。ベルリンのミッテ地区もいよいよ人間味が失われつつあるな、とがっくり。ジェントリフィケーションという言葉を多用したくもないのだが、最近のベルリンはまさに、そのオンパレード状態としか言いようがない。
問題になっているのはアレキサンダー広場とインヴァリーデン通りにあるSenioren-Domizilが1年以内に閉鎖され、テナントビルとして再スタートする、というニュースだ。平たくいうと、人気地区の一等地で老人ホームを経営するより、テナントビルとしてスタートアップなどにオフィスを提供する方が利益が格段に上がる、という単純明快な事実である。
こちらの老人ホームはBerthold Hecht氏による家族経営。彼によると、2019年の夏までに入居者に彼が所有する他の4つのホームにそれぞれ移ってもらい、現ホームが閉鎖した後はオフィスのみの使用になるということだ。このニュースがメディアに掲載されるやいなや、何件もの問い合わせがあったそうだ。というのも、どちらの物件も保護指定されている建築上重要な建物となっているからだ。
アレキサンダー広場付近の建物は東独時代にはベルリンの労働者のための病院(”Zentrale Poliklinik der Berliner Bauarbeiter“)だった。

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以前は「ベルリンの労働者のための病院」だった建物(Magazinstraße)/ Foto: Dirk Jericho)

一方、インヴァリーデン通りの建物は以前はバルティック・ホテルとして第二次世界大戦後から1990年まで労働組合のためのゲストハウスとして使用されていた。

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初期モダニズム建築:3階から5階まではひとつの窓につきひとつのバルコニーが備え付けられている / Foto: Dirk Jericho

Hecht氏は今年中に2020年以降のオフィステナントを決めたい意向だ。
この記事の冒頭に所有者の異なる老人ホームについても記述ががあるので、そちらについても検索してみる。
開発が進んだ2000年以降、観光客の激増したHackescher Markt。その中でも特に人の集まるHackescher Höfeの目の前に立つ老人ホーム”Residenz Vis à vis der Hackeschen Höfe”。2ヶ月ほど前にホームの下に入っていたスーパーのEdekaとドラッグストアのRosmannが撤退したのでおかしいな、と思っていたらビルの所有者が築20年ほどの建物を改装して、アパート、オフィス、店舗を兼ね備えたビルに建て替えることが決まったのだとか。

以前、目にした記事では2年間の猶予が与えられそうだ、となっていたのだが、なんと今月末まで(2018年6月)に245名の入居者がホームを明け渡さないといけなくなったらしい。
こちらの建物については特に保護指定などはされていない簡素な作りとなっているが、抜群のロケーションを利用して高級アパートや店舗、スタートアップ誘致などを目的に現在の建物を取り壊し建て直す計画だという。入居者のための2年間の猶予がどこに消えてしまったのかは全くの謎だが、残念なことにドイツには賃貸アパートの入居者を保護するような法律も特にないので、所有者の気が変われば退去せざるを得ないのが現状なのだろう。ひどい話である。
前回のホルツマルクト とは事情が異なるものの、ベルリンの今の現状がどこまで続き、ジェントリフィケーションが加速するのか全く予想も付かない。昔からベルリンに住む住民の生活が脅かされるレベルになっていることは疑う余地もない。
参考記事:
https://www.berliner-woche.de/mitte/c-wirtschaft/senioren-raus-start-ups-rein-zwei-weitere-altenheime-werden-geschlossen_a163337
https://www.morgenpost.de/berlin/article214106653/Investor-reisst-Altersheim-am-Hackeschen-Markt-ab.html

Le Van Bo – Herz IV Möbel / バン・ボー・ルの「ハルツ4家具」

先日、仕事でリサーチをしている際に偶然、面白いアイデアに出会った。
ラオス系ドイツ人、バン・ボー・ル=メンツェル(Van Bo Le-Mentzel )の編み出した「ハルツ4家具」のコンセプト。「ハルツ4」とはドイツの失業手当も含めた社会保障制度を指す。
バン・ボー・ルは1977年にラオスで生まれたが、両親は彼が2歳、ラオスが共産主義化した時にドイツに移住している。彼はベルリンのヴェディング地区で育ち、 „Prime Lee“というハンドルネームでラッパーやグラッフィティ・アーティストとしても活動している。

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24 Euro Chair / HERZ IV MOEBELサイトより

建築を学んだ後、一時的に社会福祉のお世話にもなったこともある。市民大学で家具作りのコースを受講した際に「ハルツ4家具」を思いついたという。このコレクションには24ユーロチェアベルリンホッカーノイケルン・デスクなどのラインナップがある。

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Berliner Hocker  (Foto: Daniela Kleint)

バン・ボー・ルはシンプルな設計図を引き、Bauhausからインスピレーションを受けたというデザイン性のある家具を提供する。自分で作ってみようと試みる全ての人に。高価なデザイン家具には手の出せない人でも、品質とエレガントさを低予算で自宅に備え付けられるというコンセプトだ。興味のある人は組み立て設計図をフリーダウンロードできるが、一つだけ交換条件がある。
それは自分のストーリー、すなわち人生やモチベーション、そして完成した家具について語ること。物語を語ることが条件というのも粋である。
バン・ボー・ルは持続性や社会的公平性などに関心があり、 „Konstruieren statt Konsumieren“ 「購買する代わりに構築する」をモットーとしている。その他の活動としてDeutschPlus協会主催の „school talks“などにも参加。スタート地点から既に困難な状況にある若者たちにモチベーションと希望、インスピレーションを与えるのがその役目だ。
とにかくプロフィールが建築家、作家、映画製作etc.とにかく活動範囲が広い人物である。できれば一度、彼のワークショップで家具作りに挑戦してみたいものだ。自分の手で実際に物を作るというのは、「できた!」という達成感が得られやすく一種のセラピー効果があるのかもしれない。小さな成功体験というやつである。
著書:

参考記事:

  • http://www.hartzivmoebel.de/
  • http://www.taz.de/!5141559/

動画も見つけたのでご参考までに。

タイトル写真:©Van Bo Le-Mentzel/ Hatje Cantz