Kaufhaus Jandorf / ヤンドルフ百貨店の行方

Kaufhaus Jandorfといえば、近所にあるとても好きな建物だ。

以前、ブログKaufhaus Jandorfでも書いたように、様々なイベントスペースとしてファッションウィークや写真展、CDUのbegehbares Haus「ウォークインハウス」、即ち選挙キャンペーンのために一般に開放されたインフォーメーションセンターとしても使用された多目的スペースであった。

Ostkreuzschule für Fotografie卒業制作展, 2017.10

1904年に経営者アドルフ・ヤンドルフによってオープンした百貨店だったので、高い吹き抜けスペースのあるとても面白い空間だったのだ。

公園の向かいに立つ非常に立地のよい物件なので、逆にこれまで数十年も空き物件だったことが不思議といえば不思議である。

子供たちも好きな場所だった

高級アパートやホテルに姿を変えなかっただけ、まだマシだといえばいいのだろうか。2018年から本格的な工事が始まり、改装後の使用用途が気になっていた。

工事もほぼ終盤に入ったようで、外からも内装などが見えるようになってきた。カフェ?ホテル??いや、少し違うな。何だろう。

モダンなデザインの照明とソファなどが見えるが実際のところ、何になるのか見当がつかない。ただし、入り口の扉は常に固く閉ざされており、これまでのように自由に出入りができない何かになりつつあることだけははっきりとわかった。

都市開発にはよくあることだが、ずっと見慣れた生活の一部だったスペースにある日を境に入れなくなる、というのは結構つらい。

地区のフリーペーパーでこの建物にダイムラーとBMWが拠点を築くことを知った時は正直、がっかりさせられた。

建物の向かいには公園もあるのだが、500人もの社員がここで仕事をすることになれば、馴染みのある風景や雰囲気が変わってしまうかもしれない。カフェや近くのレストランも混むかもしれないし、便乗値上げなどもあるかもしれない。そんなことをぼんやりと考えた。

ダイムラーとBMWのグローバル・ヘッドクォーターとなるそうだが、モビリティ分野での両者のジョイント・ベンチャーは以下の5つだ。

Reach Now:マルチモジュールのモビリティプラットフォーム
Share Now:カーシャリングサービス
Free Now:配車(タクシー)サービス
Park Now:駐車場や路上パーキングのサポート
Charge Now:電気自動車のバッテリーステーション用アプリ

Your NowのHPでこれら5つの詳しい説明が紹介されている。

スマートモビリティ開発の先鋭たちがやってくるのだろう。そのため、従来のショールームのような公共スペースは設置されないとのこと。当然の流れである。

Brand overview

スタートアップやベンチャー企業が多く集まるベルリン。そのまさに中心地に拠点を移すことになったダイムラーとBMWによるジョイント・ベンチャー。

スマートモビリティの行方には関心があるので、若干の寂しさはあるが今後に期待したい。

No more Stadtquatier / Tachelesの行方

初めてベルリンを訪れた90年代に衝撃を受けたのがタヘレス(Tacheles)だった。

あそこまでボロボロの廃墟を見たことがなかったのと、訳のわからないエネルギーのようなものが建物を取り巻いていたからだ。

決して明るくはない、それでいて何が出てくるのかわからない混沌としたもの。

タヘレスに入っているカフェザパタ(Zapata)で知り合いになったミシェルとKiBa(Kirchebananensaft / チェリーバナナジュース)を飲んでいると、シャーデ(Schade)と名乗るチェロ弾きが話しかけてきた。

「シャーデって言うんだ。今日の晩『真夏の夜の夢』でチェロを弾くんだけど来ない?」

シャーデ、日本語で言うと「残念」という名のチェロ弾きというのも何だかベルリンらしいな、と思い足を運んだのをよく覚えている。

舞台を観て購入したパンフレットもまだ手元に残っている。

Schiller Theater 1993

Cellist Jan Schade

やはりSchade、とある。

その時にシャーデと話したこともなぜかまだきちんと覚えているのだが、彼は紙に鉛筆でおもむろに3つの点を書き、その点を線で結びながらこんなことを言った。

「モスクワ、ベルリン、パリ。この3つの都市は文化的にとても深い繋がりがあるんだ。」

その2年後、実際にベルリンに住むようになって、彼の言っていたことを実体験することになるとは夢にも思わなかった。

パリには縁がなかったようだが、モスクワとベルリンはがっちりと自分の中で繫がったからだ。

とにかく当時のタヘレスはそんなエピソードと共に自分の記憶の中に残っている。

Der Traum

die Stätte enthüllender Beziehungen

Der Traum ist eine eigene Wirklichkeit, die zwischen dem Sichtbaren und dem Unsichtbaren des Universums schwebt; eines Universums, das der Mensch bei Tag bewohnt und bei Nacht entdeckt.

Vittrio Fagone, 1991

パンフレットには夢についてこんなテキストが引用されている。

2000年を過ぎた辺りから、タヘレスも観光地化されほとんど足を運ぶこともなくなったのだが、今日目にした記事を読んで非常に残念に思った。

タヘレス周辺の空き地を利用してモダンな商業ビルが2023年に完成予定。下の完成予想図を見る限り、もはや以前の面影は跡形もない。

「時代の流れとはいえ、本当につまらないものを建てるんだな。」

壁崩壊直後のベルリンを象徴していたタヘレスの今後の利用法も気になるところだ。スウェーデンの„Fotografiska“が入るとか入らないとか言われているようだがまだ100%確実な話でもないらしい。„Fotografiska“ はすでにニューヨーク、ストックホルム、タリンに美術館を構えている。

あの独特の外観を保ったままうまく改装できないのだろうか。安全性の問題などもあるのかもしれないが、レジェンド的存在だった歴史的意味のある建造物をうまく維持してほしいと願うばかりである。

それにしても、タヘレスのすぐ側にどこにでもあるような商業ビルを建てても仕方がない、と思うのは私だけだろうか。

ベルリンの壁が崩壊して早30年。ベルリンもようやくその他の一都市に数えられるようになったのだろう。そして、それはかつて壁の存在した都市がようやく再建して普通の街になった、というだけのことなのかもしれない。

ベルリンらしさ、というのは何か。それは十人十色なのだろうが、最近のベルリンの都市開発にはワクワクさせる要素がほとんどない、というのが個人的な感想である。街の中心部からとうとう最後に残された隙間が消えようとしている。

参照記事:Berliner Morgenpost / Neues Stadtquartier entsteht rund ums einstiege Tacheles

Werkstatt Haus der Statistik / 統計の家共同作業場

ベルリン、ミッテ地区の一等地。アレクサンダー広場から目と鼻の先にある東独時代の「統計の家」。2008年から手付かずで放置されており、現状は荒れ果てた悲惨な姿だ。

*無編集の動画をYouTubeにアップしたのでミュート(強風のため雑音)でご覧ください。

この「統計の家」は2015年9月にある投資家に売却されようとしたが、それを阻止するためにアートキャンペーンが行われた。

Allianz bedrohter Berliner Atelierhäuser (AbBA)などのアーティストたちが建設現場でよく見るスタイルの告知方法で大型ポスターを張り出した。

「ここにベルリンのための『文化および教育と社会のスペース』が生まれる。」

このキャンペーンを通して、「統計の家」の将来のための議論の場を公に提供したのである。

AbBAの紹介ページにはこう記されていた。

ベルリンのアートシーンを取り巻く状況は不動産価格の高騰などにより、かなり厳しくなっている。年間におよそ350のアトリエがなくなったり、過去数年で個人所有物件内に入っていたアトリエの立ち退きなどに伴い、約250人のアーティストに影響が出ている。このような状況を受け、2014年に10のアトリエ、500人以上のアーティストがAbBAに加入し、ベルリンのアトリエ保持のために共に活動している。

このアクション直後に「統計の家」のイニシアチブはベルリンの様々な団体による団結によって形成されることになる。

また、イニシアチブは2016年より「統計の家」の将来的なプラニングに興味を示す人々のために公のネットワーク作りを始めた。これが都市開発協同組合ZUsammenKUNFT Berlin eGへと発展する。

2018年1月以降はKOOP5として以下の5つの組織が共同で「統計の家」の開発を進めている。

以上の5つの団体が芸術・文化・社会・教育・適度な家賃の住宅・ミッテ区の新市役所・その他役所関連のための空間作りの実現に向けて協力して作業を進めているところだ。この計画は現存する建物の修復および6万5千m2に当たる新築によって可能になる。

Nutzungsverteilung im Quartier Haus der Statistik – ©Teleinternetcafe und Treibhaus
©Teleinternetcafe und Treibhaus

これまで、個人投資家による不動産購入が相次いでいただけに、ベルリン市やミッテ区などを含む公益法人による市民目線の都市開発が実現するのであれば、ベルリン市民にとっても久しぶりの朗報になるのではないかと思っている。

PDFファイルにはKiez der Statistikプランの詳細情報が記載されているので、興味のある方は是非ご参照ください。

参照サイト:Initiative Haus der Statistik

Industria Bambacului >> Industrii Creative / ブカレスト南部の都市開発

知らない街に行くと、いつも現代美術館併設の書店や街の大型書店でカルチャー関連のガイドブックや建築ガイドブックを購入するのがお決まりになっている。

今回の旅では旧市街にあった美しいブックストアCărturești Caruselで黄色の表紙が目を引くCelalalt oras. Locuri si povesti din Bucuresti-Sud / The Other City. Places and Stories from Bucharest-Southを購入。

パラパラとページをめくっていると、気になるグラフィックが。タイトルのIndustria Bambacului(コットン工場)跡地をIndustrii Creativeの場にしようという試み。工場の跡地を再開発する、というのは欧州内では定番の都市開発パターンでもある。

まだ完成はしていないだろうが、足を運んでみることにした。先日の「国民の館」ツアーがハードだったので、この日は可能な限り市内の交通網に頼ることに。一日券8レイ(約2ユーロ)を購入し、地下鉄で最寄り駅まで移動する。

ブカレストのメトロは1979年にM1号線の区間が開通しているが、ルーマニア国内で地下鉄路線を持つのはブカレストだけらしい。ルーマニア国内のインフラが進んでいないことが良くわかる。

M2 Universitate
M1 Piata Unirii 1
Piata Unirii 1の駅構内Foodpandaの広告ポスターが柱に貼られていた
M1 Timpuri Noi

この写真を見てお気付きの人もいるだろうが、他の東欧の街を走る地下鉄の駅と比べ、ブカレスト地下鉄は装飾もいたってシンプルで現代的であり、豪華な装飾や照明のあるモスクワのそれとは異なり、どちらかというとベルリンの地下鉄に作りが似ている。

共産主義時代のルーマニアの大型建設プロジェクトには国民の館をはじめ不要の産物が大半であったが、この地下鉄計画については唯一の成功例と言われているのだとか。

ドゥンボヴィツァ川沿いを歩く

Timpuri Noiの駅を上がり、川沿いに南下する。

少し歩くと、木でできた小屋や黄色い階段が目に入った。ここかな?
日曜日の昼前だったが、たまたまミィーティング開始時間と重なったことで人の出入りがあり、中を見せてもらえることになった。

入り口付近のスペース
MATER
MATER

MATERは建築およびデザインに関する素材ライブラリーとミィーティングルーム、展示スペース、コワーキングスペースなどが入ったクリエイティブ・インダストリーのクラスタが集う場所。

建物の屋上にはテラスがあり、様々なイベントが行われている。

ここからさらに南下したところに高層アパート群が立っていることからも分かるように、このエリアの価値が上がる日もそう遠くはないだろう。

București / ブカレスト

今年2019年からベルリンでは3月8日の女性の日が祝日になった。

これを利用してどこかへ行けないかと思い、以前から気になっていたルーマニアの首都ブカレストに友人を誘って行ってみることにした。

ハンガリーのブタペストではなく、ブカレストの方だ。

フライトの時間が遅いのと、時差が1時間あるので、初日はほぼ移動のみ。週末の丸2日滞在、月曜日の昼にはベルリンに戻るという弾丸ツアーだ。

今年は東欧圏にも仕事で行きたいと考えているので、カバー範囲を広げるためのロケハン的な意味もある今回の旅。

恐らくブカレストもワルシャワ同様、日本ではあまり情報が得られない、あるいはアップデートされておらず、「危険な場所」というイメージが先行しているのではないだろうか。

ベルリンからブカレストの空港に降り立ち、街の中心街へ出る783系統のバスに乗ると、ブカレストの方が間違いなく都会だという印象を受ける。

空港内の両替所で10ユーロを約45レイに交換し、バスのチケットを購入。ここで、往復を2人分買おうとしたところ、1枚のカードにまとめられてしまい、販売員の女性に平謝りをして何とか2枚のカードに分けてもらえた。往復チケットの料金は7レイ+チャージ用カード1,6レイ(8,6レイ=約2ユーロ)。

チャージ式のカードだというのをうっかり忘れていたのだ。「そういうことは買う前にちゃんと説明してね!」とプンプン怒りながらもやり直してくれた販売員には感謝しかない。「ごめんなさい、ありがとう!」Mă scuzaţi. (マ スクザッツィ), Mulţumesc! (ムルツメスク)

ベルリンの壁の歴史がそうさせているのか、ベルリンから東欧の首都へ足を延ばすと、どうしてもベルリンの田舎染みた感じが目立ってしまうのだから不思議だ。

道路の道幅や交通量もモスクワのそれを彷彿とさせる。大通りを渡る信号も少なく、地下道が発達しているのもよく似ている。交通量が多いため、道路の側を歩いているとちょっと息苦しい感じがする。夏の大気汚染もかなりひどいに違いない。

宿泊先アパートが大通りに面しているため、夜間ではあったが周辺を少し歩いてみることにした。22時を回っても人通りが多く、特に身の危険を感じるような雰囲気ではない。

24時間営業のスーパーを見つけたので、そこで間に合わせの夜食を買い、帰途に着いた。

ベルリンよりかなり南に位置するせいか、夜間でも上着のいらない暖かさ。目抜き通りにもまだまだ古い廃墟と化した建物が残っていたり、かなり特異な構造のアパートが並んでいたりと建築に興味のある人にもお勧めしたい街である。

明日からのブカレストがとても楽しみだ。



zu viele Touristen? / ベルリンと観光ブーム

2010年頃だろうか。近所の交差点周辺にホテルが次々とオープンした。

ホテルばかり建ててどうするんだ?と思いきや、それに伴ってツーリストもどっとやって来た。幸運なことに、我が家はメイン通りには面していないため、窓を閉め切る冬場はそれほど騒音なども気にならない。

しかし、暖かくなってくると、近所の公園には目に見えて放置されたゴミが増え、道端にも割れたビール瓶などが目立つようになる。

数年前からBSRが公園の掃除も担当するようになったおかげで、今はそれほどひどい状態にはなっていない。

とにかく、最近は地下鉄やSバーンに乗っても混んでいることが多く、ラッシュアワーには道路も以前より渋滞するようになった。もちろん、ベルリンに流入する人が増えたことも原因のひとつだ。

ミッテ区よりも観光客が流れているのが、クロイツベルクやフリードリヒシャイン区だ。レストランやクラブ、バーなどが密集するエリアには若い観光客が集まる。

英国、アメリカ、イタリア、スペイン、オランダなどから来る観光客が中でも多い。

国別のベルリン延宿泊数(拡大図

ベルリンの観光客数だが、2018年には約1780万人が訪れている。延べ宿泊数は2018年には前年の3115万泊から3300万泊までに増加した。

一部のエリアでは騒音やゴミにうんざりした住民が観光客に対してノーを突きつけるようにさえなっている。

@Jörg Kantel / No More Rollkoffer / スーツケースお断り!

ホテルが増えた地区は、ミッテ、クロイツベルク、フリードリヒスハインと空港付近に当たるシューネフェルトだ。

ベルリンの延べ宿泊数の推移

ドイツホテル・飲食店業連盟(DEHOGA)の責任者レングフェルダーは「まだまだベルリンにはホテルの需要がある。メッセや国際会議、祝日にはホテルが満室になる。平均的な宿泊率は80%で、これはドイツ国内でもとても良い評価だ。」と主張する。

ホテルの増加を規制するといった、政治的な介入を牽制したいのだろう。
経済成長を取るか、住民の生活を守るのか。

確か、ベルリンだけではなく、ヴェネツィアやマヨルカ島などでも観光客の増加に伴い、住民の生活の質が低下する、といった問題に発展していたように思う。

Airbnb(エアビーアンドビー)やその他のあらゆるサービスによって、人々は以前よりも簡単で自由に移動できるようになった。この流れは今後さらに加速していくだろうし、この状況に街や住民がどのように折り合いをつけていくことができるのかが課題になってくるだろう。

今はおそらく過渡期なので、移動する生活というのが当たり前になれば、課題や問題はさらにに上のレベルにシフトしていくことだろう。

国と国の間の線引きなどもそのうち必要ではなくなるかもしれない。

参考記事:Berliner Zeitung: Das Torismus-Dilemma Wichtige Wirtschaftskraft oder Kiez-Zerstörer? ; zu viel Lärm, zu viele Hotels Kreuzberg hat keine Lust mehr auf Touristen

Flussbad Berlin / シュプレー川で泳ごう

大都市に流れる川。

パリのセーヌ川、ロンドンのテムズ川、大阪の淀川。ベルリンはシュプレー川。

街の真ん中を流れる川の水質をきれいにし、泳げるようにしたい。

そんなイニシアチブを持った人々が集まり、Flussbad Berlinは2012年にスタートした。

プロジェクトのアイデア自体はすでに1997年にアーティストで建築家のヤン・エドラーとティム・エドラー(realities:united) によって生み出され、翌年98年に公表されている。

時代とともに、環境問題に対する市民や国の姿勢は大きく変わり、プロジェクトが立ち上げられた頃よりも多くの関心を集められるようになった。政府やベルリン市が助成金を出すようになったのである。

ベルリンの市民が夏になると向かうのが市内や郊外にたくさん点在する湖だ。
その他、川に浮かんだプールBadeshiffなども数年前に話題になったことがある。川に浮かぶスイミングプール、こちらもなかなか素敵なロケーションだ。

Badeschiff©Thorsten Seidel

„Flussbad Berlin“ 「ベルリン河川敷プール」はベルリンの歴史地区における都市開発プロジェクトである。100年以上も積極的に利用されていないシュプレー運河を3つのエリアに分け、再活用を目指す。

Naturnaher Flusslauf / 自然に近い川の流れ

Fischerinsel付近の三日月湖のような運河エリアはエコロジカルな再生ゾーンとして整備される予定だ。動植物相のためのスペースとして、欧州目標基準を満たす水質の向上も目指す。

Natürlicher Wasserfilter / 自然のウォーターフィルター

植物を利用したフィルターで川の水を浄化する機能を持たせるエリア。400mの長さのフィルターに河川の水を通すことで、人が泳げる水質を目指す。

Schwimmbereich / プールエリア

美術館島沿いに835mのプールエリアを作る。水面積は23.700 m2。これまで全く利用されてこなかった街の中心エリアに位置する大階段とルストガルテンやフンボルト・フォーラムを繋ぐという構想。

新たな公共の場が出会いや散歩、スイミングに誘う。

このいわゆる「シュプレー川で泳ごう」プロジェクト、なかなか期待できるプロジェクトではないだろうか。

近い将来、ベルリンでお気に入りの場所がひとつ増えるかもしれない。

*参考サイト:http://www.flussbad-berlin.de/
本文中のグラフィックや写真はFlussbad Berlin e.V.のHPより引用しています。

BND-Park Südpanke / 連邦情報局と緑地エリア

今月8日に正式に開設した連邦情報局(BND)。

BNDが移転してくる前は、ペンペン草が生えていただけの空き地だったところで、確か非常にゆるい打ちっ放しのゴルフ場なんかがあったところだ。

東ドイツ時代は世界青少年スタジアム(Stadion der Weltjugend)という競技場であった。1992年に2000年夏のオリンピック開催に向けて新しいスタジアムの建設が計画されるのに伴い、東独時代のスタジアムは撤去されることになる。

結局、夏のオリンピックがシドニーで開催されることになり、更地にスタジアムが建設されることはなかった。

Stadion der Weltjugend
©Bundesarchiv, Bild 183-11500-1062

そのがらーんとしていた広大な空き地に巨大なコンクリートの建物が気づけばその姿を現していた。周りはごく普通の住宅地。よくこんなところへ移転してきたものだ。

移転に伴い、どちらかと言えば味気のないホテルや高級マンションが周辺に建設されているが、相変わらず特に活気があるエリアというわけでもない。

そして、その巨大なコンクリートの裏手には、これまたなんの手入れもされていない空き地があった。整備されていない土手と小さな人口の運河パンケだ。

さすがに連邦情報局の裏庭に当たる場所をこのまま放置するわけにもいかないのだろう。BND職員のオアシスになるかどうかは別として、緑地計画が現在進行中のようなので、近くまで行く用事のついでに足を運んでみた。

GrünBerlinによる緑地化プロジェクトはいくつかあるが、ここが手がげているプロジェクトとしてわかりやすいのはテンペルホーフ空港跡地だろう。

テンペルホーフといえば、ベルリンにまだ壁が存在した頃、アメリカ軍によって西ベルリン市民のために空輸が行われたことで有名な空港である。

あいにく今日は曇天だったため、寂しい絵になってしまったが、きちんと整備されれば新たな市民の憩いの場が生まれるに違いない。

ところで、2番目の写真を見て違和感を覚えた方はどれくらいいるだろう。
無機質なコンクリート建築の前にヤシの木が立っているのにお気づきだろうか。

どこかで見たことがあるなぁ、と思ったら、ワルシャワのシャルル・ドゴール広場に立っていたヤシの木とほぼ瓜二つ。

ワルシャワで見たヤシの木のアート作品

ドイツの政府関連施設にはよくアート作品が展示されているので、BNDのホームページを探してみたが特に触れられている様子もなく。新聞記事を当たってみたが、「盗聴アンテナなのか?」的な記述しかなく。

謎の深まるヤシの木の存在。

手前と奥にヤシの木が2本見える

正面入り口ではなく、建物の後ろ側に2本ポツンと設置されているので、違和感しかない。正体が知りたいので、分かり次第更新したいと思う。


Google-Dependence im Forum Museumsinsel / ベルリンとグーグル

先日、ツィッターで以下のような投稿をした。

ベルリンのクロイツベルク地区に予定されていたグーグルキャンパスが住民の大規模なデモなどによってキャンセルに追い込まれたのも記憶に新しい。

そして、そのグーグルキャンパスを、ワルシャワの開発がさらに進むであろうプラガ地区で偶然見かけたことはこのブログでも触れている。

Google Campusの入っているワルシャワプラガ地区のKonese

グーグル先生はそれでもベルリンを諦めてはいなかった。

他の欧州(ここでは西欧)の大都市に比べると、参入できる隙間が今のベルリンにはまだあるからだ。

Google-Dependenceとやらがベルリンの世界遺産であるプロイセン文化財団所有のベルリン美術館島の目と鼻の先に建設中のForum Museumsinsel内に今月22日にオープンした。グローピウス・アンサンブル(Gropius Ensemble) と呼ばれている歴史的建造物が新たな拠点になる。

グローピウス・アンサブルはベルリン大学の創立時1810年にツィーゲル通りとシュプレー川の間に病院の敷地として増設されたエリアである。1879年から1883年にかけてマルティン・グローピウスとハイノ・シュミーデンによってネオルネッサンス様式の本館が建設されている。

美術館島のマスタープランを手がけているデイビッド・チッパーフィールドにより、グローピウス・アンサンブルは当時を再現しつつ新たに生まれ変わった。

ここではGoogle Zukunft Werkstatt(グーグル・フューチャ・ファブリック)プログラムの一貫として、様々なワークショップや研修などが行われる。このプログラムで学んだ人たちはドイツ国内ですで50万人に達する。トレーニングや研修を無事に終了した者にはGoogler in Berlinの資格が与えられるのだとか。

ドイツのグーグル従業員はドイツのヘッドクォーターがあるハンブルクの700人に続き、開発センターのあるミュンヘンに400人。ベルリンは現在150人で将来的には300人になる見込みなんだそうだ。

このニュース、ベルリンという街にとって経済的に見ればプラスなんだろうが、ベルリン市民にとってはプラス、それともマイナスのいずれに働くのだろう。
間違いなく言えることはミッテ地区の英語化はますます加速し、家賃の高騰も歯止めが効かない、ということくらいか。

あなたもベルリンでGooglerになりたいですか?

グーグルの新しいオフィス前でデモを行う人々

*写真やグラフィックはForum MuseuminselのHPより借用しています。