STASI RAUS, ES IST AUS! / 「秘密警察最終日」カードゲーム

ドイツはカードゲーム大国だ。そんなドイツから一風風変わりなカードゲームが発売された。

その名もSTASI RAUS, ES IST AUS!

ここでいうSTASIとは東ドイツの秘密警察・諜報機関を総括する省庁、国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit、略号: MfS)の通称であるシュタージ(Staatssicherheit)を指す。

全盛期には対人口比でロシアのKGBやナチス政権下のゲシュタポを凌ぐ規模で活動していたそうで、何とも物騒なカードゲームだ。

ロシアにもKGBをテーマにしたカードゲームなどがあるのだろうか?

「最高機密」カード © 2019 PLAYING HISTORY

ドイツに長く住んでいるものの、この手のカードゲームやボードゲームの類にはまだ一切手をだしてもいないし、触手を伸ばす気配も全くみえない。

ただ、この「シュタージ」のカードゲームだけは何だかとても気になる。東ドイツ出身者にとってはひどいパロディー版にはならないのだろうか?親友だと信じて疑わなかった知人が、信頼していたお隣さんが実はシュタージだった、などトラウマにしかならない経験をした人々が実際に数多く存在するだろうから。

それらの事実も引っくるめてカードゲームに落とし込んでいるのだろうか?その内容が気になって仕方がないのである。

© 2019 PLAYING HISTORY

カードゲームをしながら歴史を学ぶ、というコンセプトの元にきちんと作られた印象を受ける。1989年11月に市民運動による圧力のもと、DDR政権は事実上崩壊した。壁崩壊より前に当たる11月6日に国家保管省のエーリッヒ・ミールケによって既に書類の破棄が命じられていたのである。

シュタージのために働く、というのがゲームのルールとなっている。シュタージの視点に立てるわけだ。市民がシュタージ本部に乗り込んでくる前にいかに多くの書類を破棄できるか、というのがゲームの内容だ。

2人から5人のプレイヤーで行うことができ、特に遊び方の説明を事前に読む必要もない。カードの指示に従ってゲームを進行することができる仕組みになっている。

市民グループカードはマイナス3点

このカードゲーム、2020年1月15日に発売になったばかり。一足先に遊んでみてはいかでしょうか?発売日から遡ること、30年。1990年1月15日に市民が国家保安省に押し入るまで100人にも上るシュタージ職員の手によって多くの秘密書類が闇に葬られている。市民らの介入によって、さらなる書類の破棄は食い止められたわけだ。

Playing Historyのミヒャエル・ガイトナー(Michael Geithner)とマーティン・ティーレ=シュベッツ(Martin Thiele-Schwez)によって、このカードゲームは作成されている。

本来は学校の授業で使われることを念頭に置いて作られたそうだが、もちろん家庭用として遊ぶこともできるので是非。

カードには英語でも指示表示がされているので、歴史好きの人にはいいお土産やプレゼントになるかもしれない。

参考サイト:Playing History: Stasi rasu, es ist aus!

Kino International / ベルリンのカルト映画館

旧東ベルリンのアレキサンダー広場から真っ直ぐにのびるカールマルクス大通りには、建築のアンサンブルが並んでいる。

そのアンサンブルに溶け込んで立っているのが、ベルリン映画祭の会場のひとつになっているKino Internationalである。

Kino International / LDA-Archiv

この映画館は独特の雰囲気があり、とても好きな空間だ。映画祭のチケット入手の際も、ポツダム広場のメイン会場の側にあるショッピングセンター内のチケットカウンターより空いており例年お世話になっている。

今年のベルリン映画祭は2月20日から3月1日と少し遅めの開催だが、もちろんKino Internationalでも上映が予定されている。まだここで映画を観たことがない人がいれば、是非一度足を運んでみてほしいと思う。

この映画館、一体何が特別なのか。

それは、DDR(旧東ドイツ)の戦後モダニズム建築の記念碑とも言える建築様式にある。1963年に開館され、東独時代1990年までプレミア上映館としての役割を担っている。Defaフィルムも数多く上映されてきた。

1990年以降はベルリン映画祭の会場として、毎年数多くの映画が上映されている。

Kino Internationalの隣にあるMokka-Milch-und-Eis-Barや向かえにあるCafé Moskauの建築群が一連のアンサンブルを成しているユニークな場所。映画館の真後ろにある建物も現在はミッテ区の市役所が入っているが、以前はBerolinaというホテルだったのだそうだ。

„Mokka-Milch-und-Eis-Bar“ 1964 / Bundesarchiv
Café Moskau / Bundesarchiv

カフェ・モスクワも一時はクラブスペースだったが、現在は何に使われているのだろう。調べてみると、会議やイベントスペースとして生まれ変わっていた。正直、これでは何の面白みもない。写真左にわずかに見えているスプートニックが台無しである。とはいえ、時代の流れは変えられない。

© Cafe Moskau GmbH 2020

今現在のモスクワもこれに似たり寄ったりで、ピカピカキラキラしたモダンで味気のない街並みになっているのかもしれない。

さて、これらの建造物はヨゼフ・カイザー(Josef Kaiser)とハインツ・アウスト(Heinz Aust)によって1959年から1965年にかけてカールマルクス大通りの第二アンサンブルとして設計されたものである。

当時、映画館の最上階では青少年クラブ・インターナショナルなるものが開かれていた。ここで東ベルリン出身のバンド、Feeling B、今では有名なRammsteinの前身バンドもコンサートを行っている。

60年代の雰囲気を醸し出す内装も魅力的なので、気になる方は是非ここで映画鑑賞されることをお勧めしたい。

© YORCK-KINO GMBH

参照サイト:
Kino International
CAFE MOSKAU
ウィキペディア
Berliner Woche: Kino International bekommt zum dritten Mal Fördergelder für die Sanierung

Lebensraum und Stabilität / 住処と安定

とにかく昔から落ち着きがない子供だった。

本の虫だった割には自転車で近所の道を爆走するのが大好き。ブレーキをかけずにカーブを曲がったら、ちり紙交換の軽トラックに激突。気付いたら溝に転がり落ちて膝を擦りむいていた。9歳の頃だろうか。

恐ろしいのは、そのまま自転車に乗って友達の家に遊びに行ってしまったことだ。後で母親から「ちり紙交換の人から電話があったけど、どこ行ってたの?」とあきれ顔で聞かれたのを覚えている。

高いところから飛び降りるのも好きで、失敗して派手に流血したり、これまた急な坂道を自転車で一気に下り、田んぼに自転車ごと突っ込みそうになったりもした。

そうかと思えば、小学校6年生までは真面目なガリ勉タイプで通知表はオール5。「協調生がある」という項目だけがいつも3だったような群れない一匹狼タイプ。同級生とは折り合いがあわず楽しい小学校生活だった、とはお世辞にも言えない。

自分の子供はここまでひどくないので良かった、というべきだろう。

大人になった今でも、落ち着きのなさは当時のままである。

清水の舞台から飛び降りる(モスクワで就職!?)のは朝飯前だし、自分で言うのもなんだが、いつまで経っても落ち着く気配がない。

そういえば、一度付き合った相手から「子供ができると落ち着くんじゃない?」と言われたことがある。子供がいても落ち着いているようには微塵も見えなかったロシア人にこんなことを言われても。とにかく全く説得力がなかったのは記憶している。

その当時はベルリンとモスクワを行ったり来たりしていたのであるが、「家」とか「居場所」、「住処」というのが自分の中では常に最重要テーマだった。

とにかく落ち着けないのは居心地の良い住処がないからだ、と。

だから当時のことを振り返るブログのタイトルも「the borderline / 境界線」にした。ドイツなのかロシアなのか。ベルリンなのかモスクワなのか。自分の中で確固たる芯のようなものが欠けており、文字通りフラフラと行き場なくさまよっていた辛い時期についての回顧録のようなもの。

ロシア語で会話ができるようになろう、ロシア語で仕事ができるようになろう、ロシア人を理解できるようになろう、ものすごい熱量で努力をしていたのだろう、ある日突然、バーンアウトした

ロシア語やロシア人に振り回されることに、モスクワの理不尽さや生活にただただ疲れたのである。

そう、「海外生活と外国語疲労」でドイツ語に疲れる、という話をしたが、それ以前にとっくにロシア語には疲れてしまっていたわけだ。

ベルリンに戻った後の約半年間はそれこそ精神的にかなり参ってしまった。

銀行口座の残高は下がりっぱなしだし、台所のシンクの下に備え付けられたバスタブにもウンザリしていた。ポンプでお湯を汲み出すとか何!?

2000年初期の東ベルリン側にはまだよくわからない類のアパートがたくさんあったのだ。

そのうち、縁あって制作会社に就職し、初めてまともなアパートで一人暮らしをすることになった。バルコニーからテレビ塔も見える最高のロケーション。

のはずだったが、アパートには備え付けの家具もなく、また必要性も感じていなかったので机と本棚くらいしか揃えなかった。寝室にはそれこそマットと服をかけるハンガー、本の入ったままの段ボールがいくつか転がっている状態。

これがベルリン生活から7年経った状態だと言えるのだろうか。否。

最初から定住する気がない人のアパートにしか見えない。生活感ゼロ。

まぁ、でもその状態がある意味、自分には一番落ち着くのかもしれない。

長くなりそうなので、今日はこの辺で。

Leben im Ausland und Fremdsprachen / 海外生活と外国語疲労

「最近、ドイツ語に疲れるんだよねー。」

妙なことに周りの気の置けない友人から同じようなコメントを聞くことが何度か続いた。

意外なことに両者とも海外生活が数年とかではなく、ベルリン在住歴が15年以上でドイツ語も堪能、育児と仕事を両立している強者たちなのである。

え、またどうして?と思われるかもしれないが、かくいう私も似たようなことを感じることが何度かあったのだ。

例えば、これまでに諸処の申請手続きは全て多かれ少なかれ自力で行ってきた。

・大学入学手続き
・滞在許可
・住民登録
・失業保険
・育休手当
・子供手当
・幼稚園探し、入園手続き
・小学校の入学手続き など

書類の記入や電話での問い合わせ、書類を持参しての申請などについては手間は掛かるが出来ないことではないので普通にやってきたし、特にだからどうだという話ではない。

それよりも、例えば自分が全く経験のないドイツ(ベルリン)の小学校での懇談会や二者・三者懇談、小学校の次のギムナジウムへの進学に関する情報集めなどをしていると、経験や知識がないだけに余分なストレスを感じてしまうことはあった。

それでも、それらはリサーチをしたり、知人友人との会話の中からヒントを得られることではあるので、これもさほど大変なことではない。

じゃあ、外国語に疲れる原因とは果たしてなんなのか。

それは例えば、ドイツ人のジョークで笑えないことであったり、自分がいくら努力しようがネイティブ並みのドイツ語力を得ることは不可能である、という紛れもない事実だったりする。同じ土俵で戦うには初めから分が悪い勝ち目のない試合に挑むようなもの。

語学力というよりも、ドイツで生まれ育っていない自分には色々なことが欠落している、と言えばもっと伝わるだろうか。

逆に考えれば、それはクリスマスよりも正月の方が本当は大切なこととか、神社の境内に漂う独特の空気を懐かしく思う感覚のようなものではないだろうか。

外国語というのはいくらうまくなったところで母国語のように自由に扱える日などやってはこない。そして外国語で考えるということは、常に思考と言語化の間に薄いフィルターのようなものが掛かっている状態だ。

端的に言えば、どう頑張っても自分の言いたいことを100%伝えることができない、ということになるだろうか。

長く住めば住むほど、変な話ではあるが、その変えようもない事実が心底面倒臭くなったりするのである。

もちろん、周囲を見渡せば、そんなことは微塵も感じさせないドイツ語堪能な在独邦人勢は多く存在する。

海外生活、といっても十人十色で一概には言えないのだが、ある程度の語学力が付いてきたら、それはそれで大変かもね、というお話でした。

Schalom Rollberg / 異文化交流プロジェクト

“Schalom Rollberg” (シャローム・ロルベルク)とはベルリンのノイケルン地区で行われている異文化交流プロジェクトである。

ノイケルン地区のロルベルク。ここはいわゆる問題の多い地区であるらしい。 無職や外国人の割合が多く、特にユダヤ人にとっては「行ってはいけないエリア」で名高いのだそうだ。

1933年以前はKarl-Marx-Straße(カールマルクス通り)とHermannstraße(ハーマン通り)で挟まれたエリアは共産主義の労働者地区だった。60年代には多くの古い見すぼらしい住居ブロックが公営住宅として利用された。

今日では30以上の国籍からなる6000人ほどの住民が住んでいる。そして、ほぼ2人にひとりがハルツVIと呼ばれる失業給付やその他の補助金を受けているのだそうだ。

近年、ヒップなエリアに生まれ変わったノイケルンのイメージからは程遠いのがこのロルベルクエリアというわけだ。

実際にこのエリアで生活しているわけではないので、上記のような記述が肌で感じられるのかどうかは疑わしいところだが、ロルベルクの評判はそれほどいいわけではないのだろう。

さて、そんなユダヤ人にとってはNo-Goエリアともいえる場所でイスラエル出身のヨナタン・ヴァイツマン(Yonatan Weizmann) は”Schalom Rollberg”というプロジェクトを運営している。

©Schalom Rollberg

Schalom(シャローム)とはヘブライ語で「平和」を表す言葉で、日本語の「こんにちは」にも当たる。

ヨナタン・ヴァイツマンは10年前にイスラエルからベルリンに移住してきた。宗教色の強い両親のもとで育ったが、宗教そのものは彼にとってそれほど重要な位置を占めていないという。ベルリンに来て、突然自分がマイノリティーに属していることに気付き、自分がユダヤ人であることをこれまでよりも意識するようになった。

ヨナタン・ヴァイツマン ©Schalom Rollberg

偏見や無知、接触に対する不安などが存在する中、”Schalom Rollberg”はとても重要な活動だ、とヨナタンは考えている。

このプロジェクトはMorus 14という協会組織の枠内で行われているものだが、ほとんどの家族がムスリムの背景を持つロルベルクエリアで2013年から年間約200人の子供や青少年と関わりを持っている。

20名ほどのユダヤ人が運営に携わっているが、多くはイスラエル出身、その他はベルリンのユダヤ人コミュニティーに属している。ヨナタンはユダヤ人コミュニティーの協力を望んでいるが、そこにもロルベルクエリアでの活動に不安を覚える人々が多く存在するのだそうだ。

©Schalom Rollberg

“Schalom Rollberg”の主な活動は3つある。

・Morus通りの小学校4年生向けに「人道的な世界観」の授業を行う
・子供や青少年向けの補習授業
・ユダヤ人ボランティアによるヨガやアート、英語などのコース

プロジェクトに反感を覚える家庭もあるのだろうが、コース参加希望者が多くウェイティングリストがあるほどなのだとか。

ネットや家庭で仕込まれたのだろう、「ユダヤ人は世界征服を狙っている」「ユダヤ人が僕たちのの国を盗んだ」などというフレーズが子供たちから飛び出すこともあるのだそうだ。ヨナタンは「このテーマについて話すきっかけになるので、どちらかといえば歓迎すべきことです。」と悠然と答えた。

彼はその際にユダヤ教やイスラエル国家を代表するのではなく、あくまでもお互いに知り合うこと、出会いそのものが重要だと考えている。

子供たちの多くは、彼がイスラエル出身のユダヤ人であることはすぐに忘れ、「ヨナタン」として認識するようになるからだ。

この”Schalom Rollberg”の活動はベルリンだけではなく、ドイツ全国でも3位に入賞し、7000ユーロの補助金を得ている。

参考記事:
Berliner Zeitung: „Shalom Rollberg“ – Eine Insel der Toleranz mitten in Neukölln
Berliner Woche: Nur Kennenlernen hilft gegen Vorurteile

Schalom Rollberg

Fussball-Tournament und DriveNow / 遠征試合とカーシェアリング

今日は久しぶりにDriveNowを利用する必要に迫られた。いつもなら土曜日のサッカーの試合が例外的に日曜日のトーナメント試合に化けたためだ。

相方はすでに入院中の母親のお見舞いに行くことになっており、車が出せなかった。ハンブルクから義姉も合流するので尚さらである。

そして、運悪くトーナメント試合がこれまたベルリン郊外のKarowという場所だった。それどこ?と思われた方も多いと思うのでグーグルマップを貼っておこう。

ミッテからだと車で約30分、Sバーンの最寄駅はBerlin-Buchである。市内から45分くらいはかかる。

息子の週末のサッカー遠征はこんな風に、ホーム試合以外はこれまでに足を運んだことのないような遠いところまで出かける必要に迫られるのだ。

通常は相方が車で市内のあちこちで行われる試合に連れて行くのが常なのだが、今回は私がやむなくその役を引き受けることになったわけだ。

「ママと車で行きたい!」

やはりそうくるか。久しぶりだし、練習も兼ねて乗って行くことにした。

「Karow?ちょっと遠いよなぁ。。果たしてここはエリア内なのかな?」

ちらっとそんな考えもよぎったが、とにかく目的地を目指すことにした。

日曜日のお昼過ぎ。チャイルドシートが付いている車がなかなか家の周囲で見つからない。週末は子連れで出かける家族が多いということなのだろうが、カーシェアリングはそもそも子連れに優しいサービスではないのである。

運良く出かける15分前に徒歩5分の距離に適した車が見つかった。慌ててそこまで移動して車を見つけるが、なんと大通りの工事現場枠内にしれっと停められていた。

「ママ!あんなとこに停めたらあかんやんな。」

そう思うぞ。しかし、そのお陰で間に合いそうなので良しとしておこう。

グーグルマップを頼りにどんどん北上する。それに伴って、景色はどんどん旧東エリアを実感させるものに変わっていく。ベルリンのPankowを出た辺りから、これはややこしいことになりそうだ、と実感。

トーナメント試合の会場には時間通りに着いたのだが、団地内のスポーツ施設だったため、駐車場も整備されておらず現場は出たり入ったりする車で大混雑。そこでまず心が折れるが、親切な男性に助けられて何とか車を所定の場所に収める。

そこで、レンタル終了ボタンを押すが以下の表示が。

X パーキングエリア外にいるため、レンタルを終了することができません。

「あーあ。やはりそうくるか。ここまで苦労して停めたのに、出るのも一苦労じゃないか。。終わった。」

というのが正直な感想だ。仕方がないので、カスタマーサービスに連絡を入れて、パッケージ契約に変更できないかどうか聞いてみることにした。

息子は無事にチームに合流し、すっかり試合モードになっていたのと3時間くらいの予定だったため、車のことを解決するのに十分な時間があったわけだ。

カスタマーサービスの女性曰く、「3時間のレンタルでは間に合わないと思うので、6時間になってしまいますね。その場合は55ユーロですが、エリア内に移動してそこでレンタルを終えればそれよりは安く済みますね。申し訳ありません。SバーンPankow-Heinersdorfまで移動し、そこから数駅戻ってもらえますか。どうされます?」

Pankow-Heinersdorf、それどこ?という具合だが、20分ほど南下したエリアのようなので、仕方なく戻ることにした。これも経験。実地練習。グーグル先生は容赦ないので、途中で一部高速に乗らされたり、住宅街の狭いクネクネした道を走らされたりと神経がすり減ってしまう。そこで、ようやくSバーンの駅併設のPark+Rideエリアに停めレンタル終了ボタンを押したところ、再度この表示が。

X パーキングエリア外にいるため、レンタルを終了することができません。

どうやら、Sバーン沿いの反対側からパークエリア圏内らしい。ここでさらにダメージを受け、HPが限りなくゼロになった状態で何とか反対側の道路沿いに停車し、何とかレンタルを終えることができた。

DriveNowは市内をちょっと走るのには快適なサービスだが、間違ってもエリア外に出てはいけない、ということを徹底的に叩き込まれた。

恐ろしいことに、まだ続きがあって試合会場に戻るSバーン。S8は途中で曲がって西側のCエリアへ。S2は数駅で試合会場最寄駅のBerlin-Buchへ行くのだが、もちろんHP0の私は見事にS8に乗ってベルリンの最果てにたどり着いたのである。

Mühleから始まり、mühleで終わるこの駅。反対側のホームから帰ろうとしたが、ホームが見当たらない。列車を待つ人ふたりに確認したが、どうやら単線で戻ってくる列車に乗るように言われた。単線のSバーンが存在するとは知らなかった。

なぜか徒歩検索

そんなわけでもう会場に戻れないんじゃなかろうか、と3度目に心が折れるが這々の体で試合会場に戻れた時は軽く感動すら覚えたわけである。息子の出場した試合も何とかひとつは見ることができた上、爽快なシュートを放っていたので全て丸く収まった、ということにしておきたい。

Systemsprenger / システムクラッシャー

今年のベルリン映画祭で時間的にタイミングが合わずに観られなかった映画が一本あった。

Systemsprenger

© kineo Film / Weydemann Bros. / Yunus Roy Imer

フォスター・ファミリー、生活共同体、特別学校。ベニーはどこへ行こうが、すぐに飛び出してしまう。嵐のような9歳児は青少年課が「システムクラッシャー」と名付けるほど。そんなベニーの願いはただひとつ。かけがえのない愛、安心できる場所、そう、ママのところに帰ること!しかし母親のビアンカは行動が予想できない自分の娘のことを恐れている。ベニーに居場所がなくなり、解決策も見えなくなった時、反暴力トレーナーのミヒャは怒りと攻撃の螺旋から彼女を自由にしようと試みる。

あらすじを載せておいたが、明るい映画では決してない。

救いがあるとすれば、ラストシーンくらいだろうか。

娘がちょうど10歳なので、9歳の主人公の女の子の境遇を思うと、どうしようもなくやりきれない気持ちにさせられる。ある意味、彼女を取り巻く状況にはまったく救いがないからだ。

完全な負のスパイラル。

期待と裏切り、失望と絶望、のようなもの。

そして9歳児の持ち得る怒りと攻撃性には度肝を抜かれる。

それでも、子供らしい一面も彼女にはまだ残っている。

そのアンバランスさが切ない映画だ。

子供を持つ親には今すぐ観てほしい映画であるし、そうでない人たちにも一度は観ておいてほしい映画である。

「母親」あるいは「父親」であることの意味を真っ向から問いかけられるような強さのある映画だ。

子供の未来を大人のエゴや暴力で潰してはならない。

Systemsprengerは第69回ベルリン国際映画祭で銀賞を受賞している。

Regie, Buch: Nora Fingscheidt

Helena Zengel (Benni)
Albrecht Schuch (Michael Heller)
Gabriela Maria Schmeide (Frau Bafané)
Lisa Hagmeister (Bianca Klaaß)
Melanie Straub (Dr. Schönemann)
Victoria Trauttmansdorff (Silvia)
Maryam Zaree (Elli Heller)
Tedros Teclebrhan (Robert)

Hospitieren in der Grundschule / ドイツの小学校で授業参観6

ドイツの小学校で授業参観5に続き、6では1年生の算数の授業の様子についてまとめてみようと思う。

内容が重複する部分もあるかもしれないが、もう少しお付き合い下さい。

ウォーミングアップとして担任の先生が両手をさっと上げて、指の数を言わせるゲームを数分間、子供たちと行う。

その次はVerliebte Zahlen「相性のいい数」、足すと10になる組み合わせの練習をしていた。

5+5
9+1
8+2
6+4

6+3=6+4-1
5+6=5+5+1

あくまでも10のまとまりを大切にする考え方だ。

ウォーミングアップが終わったところで、この日は数式を新しい方法で表すやり方を先生がまず黒板に書いて説明し、その単元をワークブック(p.71)で各自解く、という流れだった。

3+7=10
10-7=3

足し算と引き算を⇆で一度に表す方法だ。ワークブックの①と②はクラス全員で解いていく。みんなが解き方を把握したところで、それぞれが残りの問題を解いていた。

⇆の意味をすんなり理解できない子供にはワークブックのFlexとFloraのキャラクターがすごろくのコマを行ったり来たりする、という場面を想像させて理解を促していた。

授業の最後には足し算、引き算ゲームをみんなでやっていたのが面白かった。3人1組で先生が出した足し算や引き算の問題を一番早く解いた子供が次のグループに進める、というもの。

計算の速さを競うことで、指で数えたりせず、10までの計算を習得させるのが狙いだという。緊張して慌てる子、計算の強い子、声が小さくて聞こえなかった子など子供の個性も見え隠れしてなかなか面白かった。

一番自分の席から離れた席まで進んだ子供にはみんなで拍手。こうやって身体を使って楽しく計算を覚えるやり方はいいなぁ、と感じた。

8月に入学したばかりの1年生。2時間目になれば集中力もかなり落ちてくる。子供たちが飽きないようによく工夫された授業だった。

Hospitieren in der Grundchule / ドイツの小学校で授業参観5

さて、ドイツの小学校で授業参観4に続き、今日は1年生のクラスを参観してきました。先日と小学校は同じ。

昨日の印象では2年生のクラスが静かでまとまりがある、とお伝えしましたが1年生も同じようにきちんとした様子。

机の配置は4人ずつのグループに分かれ、黒板の方に一斉に向いているわけではなく、先生が前に立って話しているときは子供たちは先生の方に身体を向けて聞き入っている。

授業の始めに「今日は何曜日ですか?」という質問をするようだ。最終的に日付まで付けて今日は何年何月何日何曜日まで言わせていた。

Heute ist Donnerstag, der 28.11.2019.

あれれ?1年生で我が家の子供たち、ここまでちゃんと言えていたかな?

それはさておき、授業は先生が予め書いておいた黒板のドイツ語のテキストを見ながら進められる。子音ごとに単語を読んでいく練習に加え、読点・疑問符・感嘆符などについても学習をする。

黒板に書かれたドイツ語。句読点はあえて付けられてはいない。色分けされているのは子音の区別を明確にするためで、Fiebelメソッドではないかと思う。

昨日の2年生の担任もこれまでの「聴覚を元に書く」やり方はもうしていない、という話だったので、ベルリンでもようやく元来のFIebelメソッドに戻す方向になったのかもしれない。

黒板に書かれた文章を生徒に読ませながら授業が進められていく。全て読んだところで、内容を把握したかどうか先生が子供たちに質問する。

Wer ist in der Schule? (誰が学校にいますか?)

Was muss Milo machen?(ミロは何をしなければいけませんか?)

内容が理解できたところで、次は四角で囲まれたクイズをみんなで考える。答えが出たところで、今度は黒板の文章で足りないものは何か、と先生から質問が出される。

ここで、読点や疑問符、感嘆符の話に移行するわけだ。

授業の構成がきちんと考えられていて、とてもわかりやすい。

昨日の2年生の授業でテーマは「秋」だったが、今日のテーマは「冬」だった。

ここでは疑問文を作るために必要な疑問詞 / Fragewörter (Wer, Was, Wo, Womit)などの話と疑問符についての導入があり、後は絵を見せながら子供たちにどんどん発言させていた。

先生が一通り新しい単元についての説明をしたところで、3つのレベルに合わせたプリントが配られる。

レベル3

写真のプリントはレベル3で一番難しいテキストだった。25人中(ひとり欠席)の中、このプリントを渡されていたのは5人の子供たちだけだ。

プリントを写し、子音を分ける波線を入れ、クイズに答えその絵を描く、というのが残りの授業時間内の課題である。

この1年生のクラスも先生に話を聞いたところ、ドイツ語に問題のある子供はひとりもおらず、非常に教えやすい、ということだった。それは45分の授業を見ているだけでもすぐにわかる。

クラスにはトルコ、デンマーク、スペイン、イギリス、日本のルーツを持つ子供たちが在籍しており、国際的なことには変わりはない。

どの子供も集中して静かに作業しているし、授業にもとても積極的に参加していたからだ。やはり母語の習得が学習の基礎になるのだな、と改めて思った。

担任の先生がDDR出身の方で教え方も丁寧で工夫されており、とても分かりやすかったのも印象的だった。