歩く、一服する 〜Иду, курю〜
コロナウイルスによるパンデミックの波がドイツにも押し寄せ、外出制限が敷かれてから早くも1ヶ月ほどが過ぎた。
その間、特に出かけることもできず、ブログに書くテーマも「コロナ」一辺倒になりがちである。
読んで幸せになるようなブログが書けないので、何も書けずにいた。その代りに音楽を聴いていることが多くなった。
読んで幸せになれなくても、それが現実。頭ではわかっているが、なかなか本当の意味で現状を理解しそれを言語化できない、というのが正直なところだ。
幸か不幸か、季節は春。春の陽気に惑わされて多くの人が錯覚を起こして外に飛び出しているように思える。
午後の公園は平年の混み具合とそれほど変わらない。行き場を失った人たちが近所の公園に集まるため、かえって溢れているようにさえ見える。
最初は私も「夏までにはこの状況も多少変わるだろう。それまでの辛抱だ。」と楽観的な捉え方をしていた。
1ヶ月経ってみて、自分の中で変わったことは長期戦になることを覚悟しておいた方がいいのでは、という静かな予感のようなものを抱いているところか。
この状況が長期化すれば否が応でもこれまでの生活にすぐに戻れるとは思えない。
“I go, I smoke.” まさにこんな気分に。ロシア人は逆境に強い国民だと思うが、今現在、彼らはどのように感じているのだろう。できることなら尋ねてみたいものだ。
Возвращаюсь раз под вечер,
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Накурившись гашиша.
Жизнь становится прекрасна И
безумно хороша.
Иду. Курю.
I return once in the evening
Having smoked Shisha
Life is becoming beautiful
and crazy good
I walk, I smoke. x4
90年代のモスクワは治安も悪ければ、スーパーの棚も品薄でほぼ空っぽだった。それでも狭い台所に大勢集まっては夜な夜な飲みながらたわいのない話から哲学的な話まで朝が明けるまで語り明かす、という生活をしていた。
知人がたまたまそうだったのかもしれないが、定職についていた人も少なかったように思う。
物がなくてもお金がなくても、彼らはある意味とても生き生きとしていて魅力的だったのだ。生命力が強い、というか友人同士の結びつきも強固だった。よそ者に対する垣根も低かった。
「人生なるようにしかならない。」
ある意味、何にも期待していないというか、いつ死んでもおかしくない。せめて今日くらいは楽しく生きよう、くらいのスタンス。
到底真似できない生き方だと思っていたが、もしかすると人生なんてそんなものなのかもしれない。
だから、「歩こう、一服しよう。」なんだろう。
吸いませんが、「考えても仕方ないから、とにかく走りにでも行くか。」
” I go, I run.”
今月から初めて24日目。そんなわけで明日も走ります。