今年もHamburger Bahnhofでワークショップ
昨年の夏休みに長女が参加したベルリンの現代美術館ハンブルガー・バーンホーフでのワークショップ。今年もあるみたいだよ、と伝えたところ参加したいと言うので申し込んだのがこちら。
Hamburger Bahnhof – Museum für Gegenwart – Berlin
Beweg dich! Film dich!
zur Sonderausstellung „moving is in every direction.
Environments – Installationen – Narrative Räume“
今年のプログラムはビデオ撮影。実際に展示されている作品と絡めたビデオ撮影になるようで、これまた何とも羨ましい企画である。
去年と同様、まだ5歳の長男はワークショップには参加せず、待ち時間に一緒に展示を観ることにした。
Anselm Kieferの作品Schecina(1999)を見るなり、「なんであんなん刺さってんの!?」「あれはなに?」
このインスタレーション作品はユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想カバラの数秘術を題材にした作品だという。
その向かいにはLeviathanがどーんと展示されていた。「ママ、あれは本?」
これは1987年に行われた西ドイツでの国勢調査(Volkszählung)に反対の意を示したキーファーの意思表示とも言える作品。
ドイツでは過去にナチスが国勢調査のデータをユダヤ人などの追跡に利用したり、旧東ドイツでシュタージと呼ばれる秘密警察が市民に関する大量のファイルを保持していた、という歴史的経緯がある。このため、ドイツでは欧州で最も厳しいデータ・プライバシー法が生まれており、国勢調査の実施に反対する市民運動なども起こっている。
あるインタビューでキーファーは次のように述べている。
「もし、誰かがそう望むとすれば私は政治的なアーティストではない。だが、歴史と向き合えば自ずと未来と向き合うことになり、それは政治に繋がっていく。私は政治的ではないが、常に政治的に見えてしまう。自ずとそうなるんだ。例えば、以前、まだワールド・トレード・センターが崩れ落ちる前だが、私は摩天楼に飛行機が墜落する作品を創った。私はこれを予言だとは見なさない。だが、何かをすればそれは未来に影響せざるを得ないということだろう。」
アンセルム・キーファーはかなり気になるアーティストである。
それはともかく、5歳児の率直な反応を見るのはとてつもなく面白い。
「ママ、椅子が!なんであんなんなってんの?」「どうやってすんの?」
「ママ見て!時計ついてる!」
「ピアノあるで。」
ヨゼフ・ボイスの常設展示では観られない大きなインスタレーションとそれに関連したビデオ作品。
抽象的で難解なコメントにもかかわらず、なぜかじーっと聞き入る息子。ボイスマジックなのか?難しくないの、と質問したところ、「いいねん、別に。」という答え。確かにそうだ。
「あの黒い部屋、まだあるかな。」
あの黒い部屋とは、リークホールに展示されているブルース・ナウマンのインスタレーションRoom with My Soul Left Out, Room That Does Not Care(1984)のことである。まだ覚えているのだから大したものだ。
結局、ホールの一番奥に展示されているため、そこには至らず、その手前の展示室でワークショップ中の長女を発見。
興味津々でワークショップの様子を見守る長男。来年は一緒に参加できるかな。
どうやら三脚に取り付けられたスマートフォンでの撮影らしく、今の子供はカメラやビデオというメディアに早くから触れる機会が自然と与えられているのだなぁ、と思う。
3日間という短期間のワークショップの間に、展示を観たり聴いたりして感じたことをお互いに話したり、グループでショートフィルムを作成したりと十分に楽しめたようだった。
ベルリンでは休暇中にこういった様々なワークショップが探せばいくらでも出てきて、毎回どれにしようか迷ってしまうくらい。小学生の頃から色々なアンテナを伸ばせる環境が転がっているというのはいいものだなぁ、と改めて感じさせられた。