Моя любимая Москва / モスクワの愛すべき風景たち

95年の4月にベルリンに来て、数ヶ月もしないうちに近所のギャラリーで作品を展示していたモスクワの建築専門のアーティストらと知り合いになった。
日本にいる時はロシアとは全くなんの縁もなかったのに、彼らを通じてベルリン在住のロシア人ネットワークと繋がりができた。
そして、気付いたらモスクワに何度も足を運んでいた。
Arbat
人との縁というのは不思議なものだ。ドイツの首都ベルリンにやって来たからといって、すぐに地元のドイツ人と知り合いになれるわけでもない。とはいえ、旅行中にひょんなことから知り合いになったドイツ人のアパートに転がり込んでベルリン生活はスタートし、数ヶ月後にその知り合いのアメリカ人の共同アパートに引っ越すことになったのではあるが。
WG(Wohnungs Gemeinschaft,ルームメイト)の構成はアメリカ人女性(地元クロイツベルクのハードロックバンドのボーカル)、NYから来たドラマー(ソニックユースのライブスタッフもやっていた)、シュトゥットガルト出身の生物学科専攻の女子学生。そして、何となくベルリンが気に入ってふらりとやって来た日本人の私。このWGも相当なものだったので、また別の機会に書いてみようと思う。
Underpass
当時のモスクワはベルリンのそれよりも一段上を行く混沌状態だった。赤の広場に繋がるメイン通りトベルスカヤにマクドナルド1号店が出来たのもあの頃ではなかったか?
Kassa
共産圏独特の安物ペンキの色味や無機質な物体になぜか惹かれて写真を撮っていた。物や色で溢れ返った日本に辟易していたせいかもしれない。
Metal2
ノイシュヴァンシュタイン城より、バウハウス、パリよりベルリン。単なるテイストの問題かもしれない。
Post
どこか完璧ではないノスタルジックな佇まいが好きだった。

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