Obdachlose / ホームレスとのイザコザ

今日はまだ何も書くテーマが決まらない。先ほど、子供たちを水泳教室に送り届けた帰りに、一休みしようと公園のベンチに座っていたらホームレスなのかアル中なのかわからないような人に絡まれた。

仕方がない、というよりネタがないので、そのことについて少し書いてみようと思う。

「ホームレス」というキーワード。家を持たない人をさして使う言葉だ。浮浪者とも言うのだろうか。

ホームレス(英: homelessness )は、狭義には様々な理由により定まった住居を持たず、公園・路上を生活の場とする人々(路上生活者)、公共施設・河原・橋の下などを起居の場所とし日常生活を営んでいる野宿者や車上生活者のこと。

Wikipedia

望んでそうなる人もいれば、何らかの事情でやむなくホームレスになった人もいるだろう。

「ノマド」や「アドレスホッパー」というキーワード。

これらは完全に自分で選択して行うライフスタイルをさして使われる言葉だ。

「ノマド」も元はジャック・アタリが著書「21世紀の歴史」(2006年発刊)の中で、ノマドという言葉を使って「インターネットの発達によりクリエイター階級が時間と場所にとらわれず活躍する時代がくる」と解説したことで広まった概念だ。

両者は似ているようで全くの別物。ホームレスの人々はノマドやアドレスホッパーの存在を知っているのだろうか。

公園で座っていた私にタバコや小銭をせがんできたホームレスは、「タバコも吸わないし、小銭も持ち合わせていない。」と返事をすると、手に持っていたビール瓶を逆さにして「死者のために!」とビールの中身を足元にぶちまけてきた。

これはさすがにやり過ぎだろう。「こういうの、いらないから。」と一言。

その一言が何かに発火したようで彼の怒りが爆発。あきらかに自分の思い通りにならないシチュエーションに苛立っており、その瞬間に私は彼にとっての思い通りにならない「最近のベルリン」と化したかのようだった。

なんというか、その時に「あー、こうして人は自分の不満を赤の他人にぶつけてくるものなのだな。」と感じたのである。

彼の怒りを通して、こういった種類の日々細かく蓄積されていくフラストレーションが「外国人」や「移民」に向かい、それをうまく煽るポピュリスト政党が指示を得ていくのだろうなぁ、と思った次第。

そんなに大袈裟なことではなかったのだが、彼の「これだから最近のベルリンは!」とか「おまえなんかあっちへ行け!」とかいう暴言を聞いていると、不満のはけ口というか今のドイツの縮図を見たような気になってしまった。

黙ってやり過ごしても良さそうな状況だったのだが、向こうがまっすぐに近づいてきた上、水泳教室の帰りで自転車の前後にランドセルをふたつ乗せた自転車をベンチの側に留めていたのでさっとその場を去るタイミングを外してしまった。

「タバコも吸わないし、小銭も本当に持ち合わせていない。もう頼むからあちらへ行ってもらえませんかね。」

と言って、退散してもらうしかなかった。向こうは自転車を蹴り倒さない勢いだったのだけれど。。

ベルリンのミッテ区の人通りの多い公園でさえこうである。娘曰く、最近警察官がホームレスに退去を促すことが増えているのだそうだ。もしかすると、ホームレスにとってもせちがらく住みにくい世の中になってきているのかもしれない。

それだったら、お互い様じゃないですかね。


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